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カウンセラーの内観体験から

カウンセラーの内観体験から ー内観法はなぜ効果的なのかー 

2011年4月1日
文責:吉田俊治 [こころのさと心理相談室]

 前回の心理療法ウッキーペディアに、治療者側からの内観法紹介があった。今回は体験者の視点から内観法について紹介したい。内観法の詳細については前回掲載の「内観療法―日本で誕生した心理療法―」(榛木美恵子、大阪心理相談センター)をご覧ください。

 1.日本人向きの心理療法である
 2.人生観が変わる心理療法である
 3.慈愛に満ちた心理療法である

 以上の三つが、私が体験を通して知った「内観法」である。
私は大学・大学院ともに知覚・認知心理学を学んだ。その後努めることになった大学では臨床心理学の担当になった。そのため私は臨床訓練のために三つの課題を自分に課した。一つはエンカウンターグループ体験で、日常の役割関係を超えた「出会い」体験を通して対人関係の感受性をみがくものである。もう一つは教育分析で、カウンセラーとして何を考え何をなすべきかについて、上級臨床家から指導を受けるものである。そしてもう一つが今回お話する内観療法体験で、カウンセリングの土台となる主題、「人間としていかにあるべきか」について考えたいと思った。

1.日本人向きの心理療法であること
 内観法は、私たち日本人の普通の生活感覚の中から生まれた。創始者の吉本伊信は、かつての日本ではごく普通の信心深い家庭に生まれ育った、普通の人である。もう一つの日本生まれの心理療法である「森田療法」が医者である森田正馬によって生みだされたという点で対照的である。
 私が内観法を信頼する理由の一つは、吉本伊信が自らの悩みから救われるために、体験を通して生みだした技法だという点である。だからそこには、現代社会を生きる私たちにも共通した苦悩からの、時代を超えた解脱システムがあるといえる。時代を超えた解脱システムとは「宗教」である。内観法は浄土宗の身調べという荒行が、一般人でも取りくみやすいようにアレンジされている。インドで生まれた釈迦の教えが中国文化を通過して日本に定着した日本的仏教、それが浄土宗である。このように内観法は東洋思想を血縁としているので私たち日本人に親しみやすい。
 そして内観法は、私たちにとって親しみやすいテーマをあつかう。それは、親子の情愛、恩愛について考えさせる。「私はどれほどに愛されて育ったのか」、「私はどれほどに人様からの恩愛を受けて生きてきたのか」、「いったい私は与えられた恩愛にどれほど報いてきたか」、これらの問いを父母兄弟・師弟友人というもっとも身近な人々との関係に問いかけた時、感涙がやまなかった。私に施された恩愛の大きさに気づかされ、それらに報いることを忘れて自己中心の考えで生きてきたのか、自らを責める苦しさと与えられた恩愛のありがたさの感動などが私のこれまでの自我のあり方を大きくゆるがし、再編をうながした。
 この技法が持つ形式や屏風や畳という道具立ても親しみが持ちやすい。十五分ほどの間隔で私が何を考え何に気づいたのか、について面接者が聴きにやって来る。屏風の中で静かに座している私の耳に、障子が開かれ畳を通って屏風の前で足音がとまる。ほんの少し無音となる。そしてゆっくり屏風が開けられ、合掌・お辞儀を私に向かってされるのである。初めの数日は少しとまどったが、考えれば無理もない。これまでの経験の中で、私に向かって合掌・お辞儀されることはほとんどないからだ。多くの体験者も、私と同様のとまどいを感じるらしい。しかし実は、これらの「形式」が私たちの警戒心をといてくれて、安心感・安全感をもたらしてくれることに役立っている。この「形式」こそが、内観法が効果的である大きな要因の一つである。

2.人生観が変わる心理療法であること
 人生観が変わるというのは、それほど心の深みにとどく技法であるという意味である。先に述べたように、吉本伊信は己の生きるうえでの苦悩からの解脱に果敢に挑戦した人である。私たちは悩みなく生きることは不可能である。いかに生きるべきか、どう生きれば少しでも楽になるのか、私自身が心理学を学ぶことを志したのも、自分の不安傾向を何とかしたいと悩んだからである。
 人生観が変わるほどのインパクトを与えられる心理療法は、そう多くはない。人間は保守的につくられていて、自分の生命が危険にさらされるようなとっぴな行動はとらないようにできている。だから、「変わりたい」と訴えているクライエントであるがなかなか変わることは難しい。変わりたいけれど変わるのもこわいのである。
 そこで内観法には変われるための仕掛けがいくつかある。一つは、一週間の泊り込みであること、二つ目は、たった一つのテーマ「恩愛」についてくり返し問いかけ考え続けること、三つ目は、食事の世話を含めて面接者のあたたかい見守りが用意されていること、である。私のイメージでは、世話してもらいながら記憶の中で幼い頃の自分から現在まで何度もたどるうちに、ある種の育ちなおしがおこっているように思える。イメージの中であっても育ちなおしがおきるとしたら、その人の人生観が根底的に変わることも理解できる。その意味で、内観法はもっとも強力なイメージ療法の一つではないかと思う。

3.慈愛に満ちた心理療法であること
 現代の「壊れゆく家族」社会に生きる私たちにとって、必要な精神性は「慈愛」であろう。「慈愛」とは文字通り人も我も大切にする心である。内観法はそのことを理屈ではなく体験として納得させてくれた。一週間泊りこむ私の心身の健康状態を、何度もくり返される面接と一日三回の配膳などを通して「お世話」される体験は、まるで丸ごと抱えてもらっているような、安心感と深いやすらぎを感じさせてくれた。
 子が育つとは、親の献身的な「世話」による。私たちは生まれてしばらくは献身的な「世話」なしには生きられない。先にも述べたように内観法の持つ治療構造は、まさに子が育つための必要にして十分な条件を備えていると言えよう。
 内観法における「世話」とは、「慈愛」を形に表したものである。現代社会の人間関係においてもっとも希薄になってきているものが「慈愛」であるなら、内観法が心理療法として今の社会に存在する意義はとても大きい。私は内観体験によって、「慈愛」の概念を自分のカウンセリングの基盤にすえることができるようになった。

おわりに
 私は内観法を体験し、面接者の体験もさせていただいた。この心理療法がすばらしいことは体験してよく理解できた。しかしこの方法を心理療法としてそのまま実践するのは大変な困難をともなう。面接者は一週間ずっと内観者とともに施設に泊り込み食事のお世話や健康管理に気を配らなければならない。また面接者の家族の理解と協力も欠かせない。だから個人よりも病院などの組織的取りくみが多くなる。
 その後私は、ユング派の夢分析を学び、フォーカシング訓練や臨床催眠訓練、EMDR治療者訓練などを受けた。現在は個人でカウンセリングルームを開設しているが、内観法は提供していない。理由は上に述べたように、一人ではできないからだ。しかし私は、静かにゆったりと、そして安心して自分自身の心の深みに降りてゆける環境をクライエントに提供したいと考えてきた。これは私が内観法で体験したエッセンスでもある。そして合掌こそしないが礼に始まり礼におわる形式も大切にしている。
 なお、「学生相談臨床 ―京都文教大学学生相談室報告書― 第6号」(2009年度)に「集中内観法における奏功機序の検討」という論文を書いた。こちらの方は、私たちの生まれ持っている定位行動能力の視点から内観法の効果について論じた。ご関心のある方は、私のホームページ(www. kokoro-no-sato.net)にPDF文書で掲載しているのでご覧くだされば幸いです。

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